草花のこと

僕は神奈川県横浜市の片田舎で生まれ育った。

横浜というとちょっとオシャレな街を連想してもらえる地名なのだが、実際は京浜工業地帯の発展に伴って造成された団地のど真ん中だ。「平成狸合戦ぽんぽこ」で狸たちが住処を追われた昭和のニュータウンを想像してもらえたらそれが近い。

山を切り拓かれたことで確かに狸や狐は住処を失っただろうけど、それでも人間にとってはまだまだ自然豊かな場所だった。当時一般的だったコンクリート平板敷きの歩道は隙間だらけで必ず草花が生えていたし、丘の端っこにあった我が家の目の前は保安林(地盤維持のために伐採を禁止された林)で窓の向こうには毎年天然のアケビが生っていた。今と違って土地面積いっぱいを意味のある場所にする設計ではなかったから、団地の棟と棟の間にも草ボーボーの「間」がたくさんあって、そうした場所で行うおままごとに使われるのはもっぱらどんぐりや桑の実だったし、駅に向かう階段の途中には法面工事すらされていない穴だらけの崖があり、水がしみ出してそこに沢ガニが住みつき、時折アオダイショウ出現のニュースが立て札になったりもした。

オシャレタウンとはかけ離れたそんな土地柄で、幼い僕は毎朝仕事に向かう父を見送りに外に行き、帰りに沢ガニの住む湿った穴を覗いたり、アリの巣をほじくったり、きのこをつついたり、つくしを集めたり、母へのお土産に可愛い草花を摘んだりして過ごしていた。

こうして書き出すと、如何にも自然に詳しそうな印象を与えてしまうかもしれない。

確かにそうなれる地盤はあったのだ。病弱を理由に図鑑をいっぱい買ってもらって毎日のように繰り返し読み耽っていたし、母方の祖母は花を咲かせるのが上手な人で、庭は彼女が手をかけた草花でいっぱいだった。彼女は蝶の標本もたくさん作っていて、僕はそれを見るのが好きだった。

ところが学校に上がると風向きが少し変わった。僕はカブトムシやクワガタにあまり興味が湧かず、僕の好きだった蝶やゾウムシは当時の男子たちには人気がなかった。そのせいか、同級生たちと虫の話をしていると、いまいち話の情熱が噛み合わなかった(ある日ベランダに干してあった布団の上をゾウムシが歩いていて大興奮して絵まで描いたのだけど、誰にもその熱が伝わらなかったこと、その時のガッカリ感を今でも鮮明に覚えている)。植物に関しても、女友達の興味はヒマワリや朝顔やパンジーなど学校にある園芸植物の方に向いていて、僕の好きなキュウリグサやオオイヌノフグリについて語り合える相手がいなかった。その微妙な趣味のズレで、僕はだんだんと動植物好きの会話に取り残され、何者にもなれないまま、徐々に興味もゲームや漫画のような流行り物にシフトしていってしまった。

そして30年あまり。

2歳の息子と共に過ごした去年のクリスマス、彼に初めて図鑑を贈った。
書店で平積みになっていた「地球博物学大図鑑」。表紙のやつれ方で、どれだけの人の目に留まったかがよくわかる。

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実際のところこの本は素晴らしく、植物、動物、昆虫、鉱物などスミソニアン博物館の博物学にまつわる5000点以上の資料が載っている。厚さは5.4センチ、656ページに及ぶ全編フルカラーの大判図鑑だ。一つ一つをつぶさに読めば一生読めるほどの情報量がある。もちろんクリスマスの意味すら知らない息子の喜びは一時的なものですぐに興味を他に移してしまったけれど、こういう本は読む読まないより「そこにあること」に価値があると思うので、それでも構わなかった。

ところが、転機はわりとすぐにやってきた。年末に俳優の香川照之氏がパーソナリティを務める「昆虫すごいぜ」の一挙放送があったことだ。夫婦揃って氏のファンである我が家はもちろん録画した。すると一緒に見ていた息子がカマキリ先生を好きになって繰り返し繰り返し見るようになり、トノサマバッタとかオニヤンマについて話しかけてくるようになった。

それならと、桜が咲き出して暖かくなった頃、花見も兼ねて家族で初めて荒川の土手に出かけた。カマキリ先生の世界に生で触れた息子は大はしゃぎでモンシロチョウを追いかけ、ナナホシテントウの前にしゃがみ込んで真剣に観察していた。これまでは怖がりでちょっとした土の上を歩くことすら嫌がっていたのに、この日は何度も何度も土手に上がりたいとせがみ、止めるのも聞かず一人で草むらに分け入り、帰りにはたくさんのつくしを摘んで帰った。摘んだつくしはせっかくなので卵綴じに。

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袴は取ったけど、傘は残した。懐かしい春の味がして、いろいろなことを思い出した。この頃から僕の意識も少し変わったのかもしれない。

それからしばらくして、春が深まり道端の雑草が花をつけるようになった。初夏も近いある日、息子と散歩していて初めて「あれは何のお花?」と訊かれ、咄嗟に答えられない自分にハッとした。あれ?僕が持っていたはずの知識はどこへ行った?

なんとなく言いようのない焦りを感じ、仕事の行き帰りでも道の隅っこに目を向けるようになってみてわかったことは、自分で思っていたより「もはや何も覚えちゃいない」ということ。どの草がなんなのか、改めて見ると全然自信がない。でもそれだけじゃなかった。本当にわかったことは「もともとたいして知らなかった」ということだ。

いざ植物図鑑を手に大人の見識で同定を試みると、想像以上に難しい。幼い頃に持っていた知識は草原に小さな赤い果実があれば「ヘビイチゴ!」という今の息子と同程度のもので、それがヘビイチゴなのかヤブヘビイチゴなのかを特定しようと思ったことはなかったし、もしかしたらクサイチゴすら一緒くたにしていたかもしれない。近縁種の中のどれなのかを真剣に特定するには、目につく花にとらわれず葉、茎、蕾、種、いろんな部分をきちんと観察する必要がある。これは、新しい目が開かれそうだ、と思った。

f:id:kazhomely:20180605003702j:plain近所の道端に生えていたマンネングサの一種。詳しい方からオノマンネングサではないかとアドバイスをいただいたのだけど、ツルマンネングサではないという確証を得たくてどしゃ降りの雨の中、帰りにもう一度見に行った。ついでにコモチマンネングサも見つけて持って帰り、ようやく納得できた。

それから、たびたび息子をつれて近所の公園や草っ原に足を運ぶようになった。彼の知識欲に引っ張られる形で、僕の探求心にも再び火がつきそうだ。

草花への関心は写真にも影響を及ぼしている。子供の頃好きだったキュウリグサの花を見つけて喜び勇んで撮ったけど、手持ちの単焦点ではロクな写真にならなかった。そのままのことをTwitterで呟いたら、マクロレンズを買ってはどうかと背中を押されたので、機を逃さず購入することにした。

これで準備は万端、のはずだった。

ところが、直径1mm程度しかなく色も淡いキュウリグサの花はマクロレンズをもってしても撮るのが難しい。焦点や露出を満足に合わせることすらままならない。くやしいので練習をするようになり、同定用に葉や茎を細かに撮るくせもついてきた。

そうして少しずつ知った草花たち。

f:id:kazhomely:20180605003729j:plainニワゼキショウ。蕾と種子で不思議な世界を形作る。

f:id:kazhomely:20180605003815j:plainコメツブツメクサ。クスダマツメクサより小さくて花序もまばら。

f:id:kazhomely:20180605003720j:plainヘビイチゴ。ヤブヘビイチゴではないと思うけど、この時はきちんと葉まで確認しなかった。

f:id:kazhomely:20180605004932j:plainキュウリグサ。揉むと胡瓜の匂いがすることは子供の頃の知識で覚えていた。まだ納得できる写真は撮れていない。

f:id:kazhomely:20180605003823j:plainヒメツルソバ。茎が匍匐性で赤く葉の色合いがツメクサとは逆になっている。

f:id:kazhomely:20180605003833j:plainビヨウヤナギ。一度覚えると住宅街のそこら中に植えられていることに気付く。

f:id:kazhomely:20180605003841j:plainハルユキノシタ。ユキノシタとの違いは赤い班の有無だそうだ。可愛い。

f:id:kazhomely:20180605005246j:plainトキワハゼ。艶っぽい出で立ち。

f:id:kazhomely:20180605003755j:plainガクアジサイ。ホンアジサイを観賞用に品種改良したのかと思っていたら、ガクアジサイの方が原種だと知って驚いた。しかも日本が原産国。

f:id:kazhomely:20180605004029j:plainガクアジサイの両性花。アップで見ると神秘的。

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ヒイラギ。クリスマスに見かける赤い実はセイヨウヒイラギで別種だとこの歳になって初めて知った。

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ウシハコベ。雄しべの先端が5つに分かれている。

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ドクダミ。臭い臭いと言われているけど、葉をちぎってもあまり感じない。なんとなく香りが似たパクチーと同じ成分に由来する反応なのだとすれば、僕は感じない人種なのかもしれない。

f:id:kazhomely:20180605003956j:plainトキワツユクサ。白色で3弁なのがかっこいい。

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ナンテン。実が生っていない時に気にしたことがなかった。必ずというわけではないけど、葉が3枚ずつ付いている。

f:id:kazhomely:20180605004104j:plainハクチョウゲ。駅近くの花壇に咲いていた。

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ムラサキカタバミ。毎日通りかかる場所にあって、アサガオのように閉じたり開いたりすることがわかった。閉じている姿が素敵。

同定の道は険しく、今は調べても「たぶん」というレベルでしか確定できない。本格的に取り組むなら作業マットとスタンドライトとピンセットが必要になるだろう。そこまで深入りするかは、まだ決めていない。

でも、こうして生き物の生態を知ることは、一番の趣味である料理にも繋がる気がする。自分の料理の「限界」が生物の特性を知らず、季節を知らず、自然を知らないことにあることは薄々感じていた。旬を知らず素材も知らない優れた料理人などいるはずがない。わかっていて出来なかったことはコンプレックスに他ならず、コンプレックスだと認識した時は解消する方向へ動いた方が楽しい。少なくとも、こうして一つ一つ記録に残せば、いずれ新たな季節感が身につくだろう。

失ったものも、得られずにいたものも、一歩を踏みだせば少しずつ取り戻せる。草花のおかげで、そう思うことができた。経験に近道はなく、遥か先を行く人を見れば途方に暮れそうにもなるけれど、それでも「思い立ったが吉日」だと思う。

そうやってまた動くようになったことで、細部がパリッと写るマクロレンズの絵づくりは作り置きの撮影にも役立つことがわかったりいろいろ繋がっていくのだけど、それはまた次のお話。

今はとにかく、草むらに出ることが楽しい。

 

地球博物学大図鑑

地球博物学大図鑑

  • 作者: スミソニアン協会,デイヴィッドバーニー,西尾香苗,増田まもる,田中稔久
  • 出版社/メーカー: 東京書籍
  • 発売日: 2012/06/20
  • メディア: 大型本
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