夢の君

僕の夢に出てくる知り合いは、どんなに荒唐無稽な夢の中であっても常にそれらしく振る舞います。

例えば、上司と知らない惑星に営業に行ったこともあるけれど、それでも上司は僕が知っている上司の通り、その場に適した異星ジョークを飛ばし、意気揚々と僕の半歩前を歩いていて、目覚めた後、なるほどあの人ならそうかもしれないと可笑しくなりました。

彼らは、僕がそれまでに見たあらゆる人の行動や言動の記憶の集積。言語野の外にある存在だから、相手を理解するための手がかりにもなります。意識下では気付いていなかった仕草が飛び出したりして、確かにそうか、そんな一面もあったのか、と気付かされることも多々。
逆に言えば、そうして自動的に振る舞える程度に情報の蓄積された相手しか、僕の夢には出てきません。

(なぜ僕の夢がそんな風になったのか理由はありますが、それはまたいずれ。愚にもつかない重い話なのです)

つまり、僕の夢は、知り合いの人間性についてとてもリアルではあるけれど、違う言い方をすれば登場人物のチョイスと行動に大きな制限があり、それは自分でも(たとえ明晰夢であっても)全く制御が出来ません。
そのため、例えば、密かに想いを寄せる誰かとせめて夢の中でいい仲になったり、ということは残念ながら一切起こらない。
密かに、ということはつまり現実ではつれない相手なわけで、そんな人は夢の中でもつれない反応しかしない。アタックなんてしようものなら、とても現実的な当たり障りのない避けられ方をして傷つくのがオチ。なんて夢のない夢。朝起きて「そんなことわかってるよ」と何度思った事か。

それはともかく、夢の登場人物がリアルな行動しか取らないと、自分の欲求や苦しみを解放するという夢の本分を実現できない上、単にお話の都合上としても困ったことになってしまうことがあります。

そういう場合、僕の夢では顔がぼんやりしてよくわからない人々がその役を担います。
彼らは決してのっぺらぼうではないけれど、顔立ちが曖昧で特定できる個性が一切ない。
誰でもないが故に何の制限もないので、ストーリーを繋ぎ調和させるために、役に見合った立ち振る舞いをしてくれます。ロールプレイングゲームにおけるNPC(村人A)のようなものです。
次の場面に繋げるための説明をしてくれたり、質問に答えてくれたり。

ものすごく極端なことを言えば、僕が唐突に「誰かを抱きしめてキスしたい!」とか愚にもつかないことを考えた時、そこにいてくれるのもNPCです。都合良く僕のことを好きになって、誘惑したりもしてくれます。
顔もはっきりしない相手にそんなことされて嬉しいのか、と思うかもしれませんが、案外嬉しいものです。そういうのはつまり、誰かに愛されたい!おーいおーい!だーれーかー!!という精神状態なわけですから、その「誰か」が応えてくれるだけで十分。
それに、この仕組みのおかげで僕は目が覚めてから誰かに罪悪感を感じることがなくて済みます。夢の中でうっかり知り合いとキスなんてしてしまって、唯でさえリアルな反応を返された挙げ句、翌日に本人と会ったりしたら相当気まずいですからね。心配性な僕の性格を熟知した、さすが自分!と言いたくなるほど、よく出来たシステムです。

さて、そんな僕の夢システムの中に、少し特異な存在がいました。

それがタイトルの「夢の君」。
初めて逢った翌朝に自分でそう名付けました。

僕は彼女が誰なのかを知りません。でも女性NPCとは違い、顔は見えている、知らない女性です。知らない女性なのに、夢の中では最初から知り合いでした。

彼女はいろいろな夢に唐突に現れます。例えば、夕暮れ時に中学の同級生とグラウンド脇の高台をくだらない話をしながら歩いている夢を見ていると、同じ学校の制服を着た女学生が視界の端に写り、僕があっと気がついて駆け寄る。声をかけると彼女が振り返る。と、そんな具合に。

彼女は夢の登場人物でありながら、その時見ている夢の内容とは関係がありません。服装や年齢など大枠は見ていた夢の設定を踏襲しつつ、会った瞬間にストーリーはどこかへ行ってしまいます。そうしたら夢はただの舞台になり、お互いに役を降りて素で接する。
あとはひたすら目が覚めるまで、前に会った時からどうしていたとか、最近こんな事があったよとか、夢の舞台装置の中でお互いに近況報告をしながら二人で過ごすのです。この前こんな夢を見た、なんて話をすることもありました。

彼女の出てくる夢に関連性は全くなく、予兆も予感もありません。なんとなくゾンビでも現れそうな不穏なシチュエーションでひと気のないバスからそっと降りようとした時、止まっているバス停の行列の一人がよく見たら彼女で、とか。彼女のにっこりとした笑顔を見たら、久しぶり、と言いあって、夢をほったらかしにして並んで歩く。

そうやって、僕は何度も何度も、彼女と話をしました。

まるで夢の一部を現実の誰かと時折共有しているような感覚。
とにかく彼女は安心できる存在で、初めて会った時からとても懐かしく、そして僕は彼女のことが好きでした。好きになったのではなく、最初から好きでした。もしかしたら、彼女もそう思ってくれていたかもしれません。
でも、夢の中でそういう話は一度もしませんでした。夢の仕組み上できないのではなく、そうする必要がなかったのです。幼馴染みなのか、兄妹なのか、僕らは最初から当然のようにこの関係で、ただ心が通い合っている感覚だけがどこまでも心地良い存在でした。

今になってあらためて考えてみると、なんとなく「君の名は。」みたいな話ですね。僕に初めて起きた時から20年近くも経ってああいう話が描かれ、多くの若い人が共感したということは、幼い子供が持つ「見えないお友達」のように、常に一定の人々に起こっていることだからかもしれません。

実は、僕の「夢の君」も、ある時期から夢に出てこなくなります。でもそれは、あの映画のようなドラマチックな理由ではなく、単にその必要がなくなったからだろうと解釈しています。そう思えるのは、夢の君の正体に心当たりがあるから。でも、その答えは少なくともまだ当分、僕の胸にしまっておくことにします。

ただ、今朝のようなことがあると、いつも思い出すのです。
僕の心を支えてくれた、あの人を。