おせちを作る人になれたこと

我が家はいつもクリスマスが終わるとおせちの準備で忙しい。あれやこれやと買い出ししたり作ったり。息を切らせて準備する自分をもってして師走を実感するのが毎年の恒例となっている。

こんな風に書くと、あたかも古風で丁寧な暮らしをしているように見えるのが自分でも可笑しい。

僕にとっておせち料理は今でも挑戦の産物だ。らしくないことを承知で取り組み、わからないからこそ続けてきた。

僕は普通の正月も、普通の家庭もよく知らない。

そんなことを言うと、そばにいるやさしい人たちは皆「普通なんてものはない、関係ないさ」と言ってくれるものだ。なんらかの社会的マイノリティを自覚したことのある多くの人にとってきっとそうであるように、その言葉はとても強くて、やさしくて、心のいろんな部分を救ってくれる。けれど、天邪鬼な僕はそれではどこか不満足だった。

「誰もが知っていることを自分だけ知らない」という想いは、如何にそれが論理的に真でないとしても、時折どうしようもない寂しさや焦りを連れてくる。

そういう子供のような気持ちが自分の中に残り続けていること、周囲の耳あたりの良い言葉に甘んじて『自分らしさ』を隠れ蓑に逃げ続けていること、今さら変えられないと見て見ぬふりをし、これでいいんだと言い訳し、選択せず、行動せず、望みを叶えず、結局そうやって自分を幸せにしないことで、挑戦しなくてもある種の免罪符を得る余地を残そうとしているんだということに本質的に気がついたのは20代も後半にさしかかった頃だった。

考えたくないことを全てひねり出したら、自分の中の理解しきれない、制御できない部分についての辻褄がピタリと合って、自分という人間の動かし方がようやくわかったような気がした。簡単にいえば無駄なプライドの高さと真のコンプレックスをようやく本心で自覚できたというだけのことなんだろうけど、不思議と体中の歯車が噛み合ったような気分だった。

その頃から、少しだけ生き方が変わった。古風なもの、伝統的なもの、フォーマルなもの、そういうことをきちんとこなす自分の姿を夢見るようになった。

そんなに欲しかったなら、それを手に入れようじゃないか。自分らしさなんてクソ食らえだ。

そういう精神が生まれた。

そして僕は、やりたくないことをするために自由を捨てて会社員になった。周囲にはずいぶん驚かれたり、らしくないと笑われたりしたけど、それがまた愉快だった。孤独をこよなく愛しながら、いつか誰かと暮らすこともできるようにと少し広めの家に引っ越し、家電製品を1つ1つ買い揃え、面倒な自炊のできる環境を整えて、仮初めでも思い描いた普通の暮らしをする練習をした。

それには何年もかかったけれど、縁あって家庭を持つことにもなった。

そして、初めての正月がやってきた。

正月飾りを買って玄関に飾り、鏡餅を供える。たったそれだけのことが出来ただけで、とても誇らしい気分になった。

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どうだ、僕だって普通の家みたいなことが出来るじゃないかと、そんなことを思った。

元旦は火を止めておせち料理を食べる。そのために初めて自分でおせち料理を用意した。家でおせちを食べること自体、幼少期以来のことだ。

妻が雑煮とお煮しめ、出汁巻き玉子を作ってくれて、僕は大好きな海老のつや煮と一番苦手な紅白なますを作り、他は全部買って揃えた。

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海老は自分で煮た方が好きなだけ大きいのをたくさん食べられる。なますは苦手だからこそ、酢を弱めにして大好きな柚子やいくらを入れた。子供の頃、母方の祖母が作ってくれた柿なますを思い出して干し柿も使った。これがとても美味しくて、来年もまた何かを作ってみようという気になった。

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おせち作り2年目の元旦。

海老となますに加えて、初めて数の子を漬けた。

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市販のおせちではほんのちょっとしか入っていない数の子。自分好みの出汁に漬けて食べ放題だと思うと、塩抜きして薄皮を取るのも楽しかった。

小鯛の笹漬けも買ってみた。おせちの中に酢〆の魚があると飽きが来なくて良いことを学んだ。

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この年は、久しぶりに母方の祖母の家に行くことが出来た。

母方の祖母が暮らす仙台の雑煮はハゼの焼き干しで出汁をとる。細切りの大根をたっぷり入れていくらがのった薄味の雑煮だ。

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朝食の後は餡ころ餅。雑煮の餅を食べた直後に餡ころ餅というだけでもきついのに、それを食べ終わったら各々が好きな食べ方で餅を食べる。それが仙台流だ。

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記憶通りの正月がただそこにあるというだけで、どうしようもなく胸が詰まった。まあ半分は餅を食べ過ぎたせいかもしれないが。

母方の祖母が長生きしてくれていることは本当に幸運だと思う。馬鹿みたいな話かもしれないが、朧気な幼少期の記憶は夢や妄想ではなかったんだなぁと、真剣に思ったのだ。祖母のおせちを通じて、いろんな想いが甦った。

おせち作り4年目。

本来のおせち料理の範疇には入らないかもしれないけど、この年から松前漬けを作り始めた。

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松前漬けは子供の頃から大好物だった。ねだって買ってもらってもご飯にかけてあっという間に食べてしまうので、いつかたくさん食べてみたいと思ったものだ。昆布とイカを切るのが思いの外大変だったけど、作るの自体は簡単でとても美味しかった。

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おせち作り6年目。

料理は控えめだが、祝い箸を用意するようになった。

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両端が細くなった両口という形状は家に迎えた年神様と食事を共有するためのものなんだそうだ。箸袋に名前を書いて三が日(本来は松の内なので7日まで)の間ずっと使う。自分が使わない反対側の端は年神様が使っているので、使ったり洗ったりしてはいけないという。なかなか奥が深い。

この年は、松の内の末となる7日に、仙台風の餡ころ餅を作ってみた。

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お湯で溶いたさらし餡に焼いた餅。静寂の中にカンカンカンと石油ストーブとやかんの湯の音が響く、かつての仙台の冬を思い出した。

おせち作り7年目。

母方の祖母の家で元旦の朝に飲んでいた、お屠蘇を作ってみたくなった。

お屠蘇は屠蘇散を酒に浸して作る。その名の通り薬みたいな扱いで薬局で売っているのだが、改めて原材料を見てみると、中身は漢方薬を集めたようなものだった。

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袋を開けるとティーバッグのようになっていて、適当な酒に味醂を加えて一晩浸しておけば良い。決して美味しいわけではないけれど、元旦に口にするもののほとんどは願掛けなので、こんなのも楽しい。

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この頃から取り回しの良いミラーレスに変えたおかげで写真がたくさん残っている。見よう見まねで始めたおせち料理もだんだんとそれらしくなってきた気がした。

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おせち作り8年目。

作るのが初めてというわけではないが、この年は正月用に金柑を煮た。

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母方の祖母の家では冬場に風邪をひくと必ずこれを作ってくれた。懐かしい記憶だ。

あとは酢蓮と、黒豆煮を初めて作った。

黒豆煮にはとある有名マンガの呪いがあって、豆の戻し方、火のかけ方、砂糖の加え方、一つでも間違えれば失格という気がしてずっと逃げていたのだが、いよいよ意を決して挑むことにした。

とはいえ、昔ながらの5日かけるような煮方ではなく、戻すのに一晩、煮るのに半日。

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皺一つないふっくら艶々の最高の黒豆煮、とは言い難いけど、よく考えてみると我が家には多少出来が悪いくらいで机をひっくり返して怒る老人はいないし、幼馴染みの横綱と結婚するわけでもない(美味しんぼ10巻参照)ので別に良いのだった。問題は一番量の少ない豆を買っても大量に出来ること。これは想定外だった。

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そして、ついに我が家もおせちを重箱に詰めることになった。これもずっと避けてきたのだが、思いがけず三段重をいただいたので、いよいよ覚悟を決めた。

重箱は詰め方にもいろいろしきたりがある。一つの段の品数を奇数にするとか、詰め方も末広、扇、隅切りなどさまざまだ。今回は急な話で仕切りにするものも用意していなかったので、その辺りは次に考えることにして、まずは大晦日までに用意したものを詰め込んだ。

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この年は酢蛸が初めて元旦の食卓に上った。おせち文化は地域や家庭によってさまざまなので、知れば知るほど変化していくところが面白い。

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柿なますも松前漬けもあんころ餅もずいぶんこなれて、我が家の味だと言っても差し支えないものになってきた。

そして、今年。

黒豆ときたら次はきんとんだろうと、栗きんとんを作ることにした。

本来は芋を梔子(クチナシ)と一緒に茹でて色付けするのだけど、事前に買うのを忘れていて近所では見つからなかったので、代わりにターメリックを投入した。

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茹でている間はエキゾチックな香りが立ちこめて少し心配になるけれど、味は残らないし体にも良さそうだ。茹で上がったら木べらで崩して、味醂と砂糖、少量の塩を混ぜ、丁寧に裏ごしして、最後に栗を加えて餡状に練り上げれば完成。

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今回は市販の甘露煮を使ったけれど、秋の内に栗を手に入れておけば良かったと少し後悔した。

さて、作り慣れたものに関しては、そろそろ自分の色を出しても良い気がしてきたので、少しずつアレンジもしてみることにした。

金柑の甘露煮は渋みを抜いて種を取るのが面倒なわりに、独特のクセのせいか、せっかく作っても売れ残ってしまうことが多かったので、シナモンとオレンジピール、グランマルニエで少し洋菓子風にアレンジした。

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伝統通りの酢蓮も味気なかったのが気になって、今回は少し出汁を効かせることにした。パプリカも一緒に漬けて紅白漬けに。

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というわけで、今年のおせちはこのようになった。

壱の重。*松前漬、*紅白酢漬け、田作、鰊の昆布巻き、*赤かぶ漬、*金柑の洋風甘露煮、*栗きんとん、伊達巻、紅白かまぼこ、*黒豆煮、甘露子。

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弐の重。*海老のつや煮、酢蛸、*鰤の照り焼き、*数の子漬、*柚子と干柿のなます。

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参の重。*お煮しめ。

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*のついたものは自分で作ったものだ。だいぶ増えてきたと思う。

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おせちとは、積み重ねる食べ物だ。

秋から冬にかけて支度をした食材の積み重ねであり、少しずつ作れるものを増やし品数を揃えた、家族の記憶の積み重ねでもある。

要領の悪い僕は9年かけてようやくここまで来た。

10年目となる来年は喪中なのでいつもとは品を変えることになるだろうけど、出来たらかまぼこ作りに挑戦してみたいと思っている。

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昔は想像もしていなかった、おせちを作る人生。

それは思ったより素敵で楽しく、やっぱりちょっとめんどくさいけど、だからこそ価値ある挑戦だと今でも思っている。