ゲソのタルトが崩壊するまでの物語

事実は小説より奇なり。そう云われますが、世の中には本当に不思議な出会いがあります。

例えば、昨年「放散虫、有孔虫に詳しい人の話を聞きたい」と何の気なしに呟いたら、2週間くらいして通りすがりの放散虫の妖精さんから素晴らしい講演を紹介されたりとか。

SNS時代ならではの不思議な縁ですが、さらにその講演イベントを訪れた事がきっかけで、昆虫の精巧なガラス細工を作られている工芸家の方やカンブリア紀の小説を書かれている同人作家さん、金属製の糞をする深海エビの研究室などたくさんの出会いが。

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そしてイカを愛しイカでイカを描くイカしか描かないイカ画家さん、イカの布教に努めながらイカのハンドメイドアクセサリーを作るイカ作家さんのお二人と知り合ったのもこの時でした。

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色んな意味で情報密度が濃すぎて消化に時間がかかったけど、そんな時は人生が少し面白くなる予感もするものです。

よくよく考えてみると、クリスマスに大きな図鑑を購入したり春先から草花の同定に精を出すようになったのも、このイベントで博物欲が疼いたせいだったのかも。本当、人生に無意味な出来事などない。

それからなんやかやと時は過ぎ、季節がひと巡りして──

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今年7月に同じイベントを再訪した僕は、昨年お話ししたイカ作家さんのところへ挨拶に行きました。改めて顔を見せながらTwitter名を明かしたところ「kazhさんに会いたかったと言ってる人がいる」と。

そして紹介されたのが、イカを愛してやまない一人の可愛らしいイカ文化研究者さんでした。ずいぶん前から繋がってはいたけれど、直接お話ししたことはなく、向こうから認識されているとも思っていなかったのでびっくり。

初対面でいきなり「コウイカが好きそう」と鋭い洞察をされたのを皮切りに、なんだかんだと話をして盛り上がったのでした。

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これが後にとある料理会の席で「料理に自信があるならイカゲソを使った美味しいタルトを作ってみせろ」という海原雄山も真っ青なお題を、至極優しい遠慮がちな言葉で僕に突きつけたその人でした。

聞けば中学生の頃に思いついたそうで、念のためキッシュではダメかと訊いてみたら、タルトでなければダメだときっぱり。

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そんなに美味しくなくてもいいです、と気遣ってくれたりもしたのですが、そんな風に言われてしまったら料理だけが取り柄の不良会社員としてはこう答えるしかありません。

「いいでしょう、では2週間後にまたここに来てください。最高のゲソタルトをお見せしますよ」

実際そこまでの自信はなかったので少し考えてみると伝えたのですが、なんだか面白いものが出来そうな予感もしていました。ちょうど2週間後に同じ方の料理会を今度は共催という形で手伝うことになっていたので、それが披露の日になればちょうどいいかもしれない。個人的に頑張って作って手渡して微妙な出来だったらお互いリアクションに困る。どうせなら舞台は大きい方が笑えるというものだ。

こうして数奇な運命に導かれ、ゲソのタルトを研究する日々が始まりました。

まずは調査から。僕にとって奇抜な組み合わせだとしても、世界の集合知にアクセスすれば誰かがレシピを作っているだろう。仮にレシピは無くとも世界中のイカを使ったお菓子をベースにしてタルト生地を考えれば、答えを見つけるまでにさほど時間はかかるまい。この時点ではまだそのくらいに思っていました。

「イカ お菓子」
「ゲソ 甘い」
「squid sweets」

おかしい。いろいろ検索してみても出てくるのは日本の酢漬けイカとイカフライばかり。

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いやいや、そんなはずはない。頭足類を好んで食べる地域は他にもあるじゃないか。

「Dolci di calamari」
「Dulces de calamar」

画面いっぱいのイカスイーツ!イカ漁師の妻が作る伝統の祝い菓子!そんな僕の予想は尽く裏切られ、イタリアもスペインもわずかにイカの形をしたグミや砂糖菓子が出てきただけでした。

まさか、イカを菓子として食べるのは日本だけなのか──?

頼りにしていた人類の叡智(の名を借りた甘い考え)がイカの前にひれ伏し、ここから先が孤独な戦いであることを思い知らされます。こうなったらもう、ひとりの人間としてイカゲソと向き合うしかない。

ゲソ、タルト、ゲソ、タルト。

考えれば考えるほどパートシュクレとイカゲソは遠い。引っ込み思案な中学生時代の自分と美人なクラスメイトくらいの距離感だ。しかし希望を捨てるほどじゃない。海苔と餅の間にチーズを挟み、タコを小麦粉生地で包んで焼いて南蛮渡来の甘いソースをかけて食べるのがこの国の文化であるならば、ゲソとタルトをきちんと結びつけることだって決して不可能ではないはず。

けれど、打つ手は見つからないまま一日が過ぎ、二日が過ぎ。

考えど
考えど猶わが想い楽にならざり
ぢっとゲソを見る

いかん。啄木が出たらおしまいだ。

途方にくれた時は論理の助けを借りる。これは過去の料理研究で学んだことです。少しずつ論理的に条件を狭めていくと光明が見えることもある。

この時点で明確になっている条件をまとめると、タルトは直径7cmのマドレーヌ型で焼く必要があり(彼女の原画が7cm想定)、作りたては出せないので具材のイカには十分火を入れなければならず、さらにそれなりの数を自宅から運ぶ為に個包装できる姿に仕上げなければならない。

つまり生クリームたっぷりのデコレーションや、やわらかい生の感触を活かしたフレッシュゲソタルトはNG。冷めても美味しい焼きタルトで、ある程度硬くなるであろうゲソが自然に馴染むもの。

その後、さまざまなタルトのレシピや写真と睨めっこして浮かんできた基本路線は以下の3種類でした。

  1. 従来の酢漬けイカ路線で甘酸っぱく漬けて、フロマージュと合わせる
  2. お酒に漬けて、チョコレートブラウニーと合わせる
  3. シロップ漬けにして、クレームダマンドと合わせる

まあ想像だけならなんとなくどれも美味しそうですが、なにしろ相手はイカのゲソ。生臭さ、硬さなどフルーツにはない不安要素があります。

時間もないので仮説を立てたら実験あるのみ。実験台はとりあえず近所のスーパーで売っていた普通のスルメイカ2杯。仕事帰りに買ってきたんだけど、捌いてゲソだけにすると少ない。

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貴重な食材なのでそれぞれもう少し具体的に完成図を想像しつつ、以下4種類の漬け材料を用意しました。

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  1. 白ワインビネガーと梅と砂糖の洋風梅酢
    ⇒ 梅と白味噌を使ったフロマージュ
  2. 火入れしたバルサミコと砂糖
    ⇒ レモンとヨーグルトのフロマージュ
  3. ブランデーと砂糖
    ⇒ ナッツを練り込んだチョコブラウニー
  4. メープルシロップとグランマルニエ
    ⇒オレンジを使ったクレームダマンド

さて、ゲソがいちばん美味しくなるのはどれでしょう。

漬かるまで二晩はかかるので、その間にパートシュクレ(タルト台)を焼いておきます。ようやくお菓子っぽくなってきた。

パートシュクレの材料は薄力粉、無塩バター、砂糖、卵黄、あとお好みでアーモンドプードル。

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まず常温に戻したバターと砂糖をカスタードクリーム状になるまで根気よく練り合わせます。

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そこに卵黄を1つ加えて泡立て器でよく混ぜ、さらに加えてまた混ぜる。

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振るった薄力粉とアーモンドプードルを加え、へらで切るようにして混ぜる。

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水分が粉に回るとだんだんボソボソした塊に。

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これを粘土のように固め、練らずに水分を均等に回すためラップをしてしばらく寝かせる。

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一晩寝かせたら、だいたい均等に分けて、クッキングマットの上で麺棒で伸ばす。

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伸ばしたらタルト型にのせて形を整え、はみ出た部分を落とす。

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膨らまないようにフォークなどでピケをして、空気が抜けるまで冷蔵庫で休ませる。

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オーブンを180℃に予熱し、およそ18分(フレッシュタルト用の場合はさらに10分)。

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これでタルト台の完成。今回は小さいのがたくさん必要で一度には焼けないので、粗熱をとったら型に入れたままジップロックに入れて冷凍保存しておきます。

久しぶりだったので、味見のためにレアチーズタルトをこしらえました。

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旬の無花果とグレープフルーツを飾る。

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ひゃあ美味しい。

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もうこれで良いんじゃないか?そう言いたくなる僕を冷蔵庫のゲソたちがじっと見つめていました。わかってる、ちゃんと美味しくするよ。

さて、ゲソ漬け実験の結果は以下の通り。

1. 白ワインビネガーと梅と砂糖の洋風梅酢

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酢がきつかったのか身が固い。思っていたより梅の風味が効いていない。酢をレモンに置き換えて、ゲソを生で使うのならありかも。

2. 火入れしたバルサミコと砂糖

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本来の酢イカに近い味。艶かしい色になって綺麗だけど、洋菓子に使うにはもう一工夫いりそう。

3.ブランデーと砂糖

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ブランデーの風味が思った以上に染みこまず、生臭さと酒臭さが増幅し合っている。少し干してから漬けるなどすればまた違うかもしれないけど、今回はなし。

4. メープルシロップとグランマルニエ

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メープルの香ばしい薫りが意外なほどゲソと合っていて違和感がない。身もやわらかく、オレンジの風味で生臭さも消えている。

というわけで、僕の中では4がダントツ優勝、2が次点でした。

あと、ある程度予想はしていたのですが、いちばん入手しやすいスルメイカのゲソは吸盤が大きいのでお菓子としては舌触りが悪く、さらに身も硬くなりやすくて短期間漬け込むには向かないことがはっきりしました。

そこで思いついたのは、寿司屋で使われるヤリイカと、夏祭りのイカ焼き屋台で出てくる串焼きのモンゴウイカ。ヤリイカは身が適度にやわらかく寿司用に鮮度の良いゲソが売られているので使いやすい。モンゴウイカは足の太さに対して吸盤がとても小さく原画に近いし、加熱してもサクッとした食感でゴムのようにならない。他にも候補はありましたが、すぐには手に入らなそうなので今回はこの2つに絞りました。

ヤリイカの寿司ネタ用ゲソ。うーん、美味しそうだが量が少ない。

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モンゴウイカゲソの方はLサイズとSサイズをそれぞれ1kgと500g買っていて期待が持てそうだったので、大量のメープルシロップとグランマルニエに漬け、空気を抜いて冷蔵庫へ。

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一晩経って念のため味見をしてみたらゲソから大量の水分が出ていて味が薄かったので、一度全ての水分を捨てて二度漬けしました。

料理会当日、しっかり漬かったイカゲソ。さあ、もう後には引けない。

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原画に少しでも近づけるため、ゲソ部分を丁寧に切り分けます。

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クレームダマンドの材料はアーモンドプードルと薄力粉、無塩バター、砂糖、全卵。

バターと砂糖を練り、全卵を少しずつ加えてアーモンドプードルと薄力粉。そして今回はオレンジのコンフィとグランマルニエ。

パートシュクレに流し込んでオーブンで焼く。

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その間にオレンジジャムをスピルリナ(という藻類由来の青い着色料)で色づけ。

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ある程度焼けたところでタルトを取り出してジャムを薄く塗り、水分を切ったゲソをトッピング。動かないようさらにジャムでのり付けする。

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ゲソの吸盤に多少焼き色がついた方がゲソらしいので、温度を220℃に上げて5分くらい焼き、中まで火を通すためにオーブンを開けずにそのまま放置。

しばらくしたら取り出してアラザンと砕いたピスタチオでトッピング。

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実は今回のタルトは全体に亜熱帯の海をイメージしていて、オレンジが波間に見える魚影、アラザンとピスタチオは海の泡と珊瑚なんて細かい設定があったのですが、こっぴどく恥ずかしいので当日は誰にも言いませんでした。ゲソが思ったより縮んでスピルリナも結構退色してしまったけど仕方ない。

慎重に個包装、箱詰めして急いで会場へ。

都立家政、Kyoten。縄文好きのマスターが運営しているレンタルスペースです。

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料理会では前菜を担当し、タルト材料として大量に仕入れたモンゴウイカと野菜のマリネ、筍とオイルサーディンの煮物、マヨなしポテトサラダ、クリームチーズのトマト香油和えなど出しました。前からこのブログを読まれている方にはバレバレですが、初回だし、タルトに全力投球していて新しい料理を考える時間がなかったので、書きためたレシピや作り慣れた料理から選びました。

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メインはもちろんNickさんお馴染みの素晴らしい肉、肉、肉。

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そしてお披露目、モンゴウイカのゲソのタルト。

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皿にのせられたタルトがフォークで崩される瞬間、それがついにやってきました。

ゲ ソ タ ル ト 崩 壊

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ええ、そうです。ゲソのタルトはこの瞬間のためだけに作られました。

料理に詳しい人は味や作りも褒めてくれましたが、そんなことはわりとどうでも良くって。花火師は打ち上がった瞬間に目を輝かせてくれる人のために1年かけて細かい仕事をする。そういうものに憧れた大人は皆、誰かのために馬鹿げたことを馬鹿げたレベルで真剣にやるのであって、それが大人の遊びというものなのではないかと僕は思います。

何気ない放散虫のツイートから巡り巡って生まれたある夏の日のゲソタルト崩壊。そんなお話でした。

ちなみに当の可愛い海原雄山氏は帰り際にこんなことを言っていました。

「じゃあ次はもっと禍々しいタルトを。そうクトゥルフみたいな‥‥」

なん‥‥だと‥‥?

はいはい、まったくなんでもかんでも伏し目がちにお願いすれば叶うと思ったら大まちがいなんで例えばイカ墨と黒オリーブで風味付けした黒いレアチーズタルトの上にブルーベリーかカシスに漬けて干した紫色のイカゲソをのせてうねうねと──。ん?